幼児向けの絵本を除けば、私が人生の最初にハマった本はこちらです。
「刷り込み」の概念で有名な『ソロモンの指輪<動物行動学入門>』(コンラート・ローレンツ著/日高敏隆訳)。
はじめて読んだのは小学1年生の頃だったと思います。
動物が大好きだった私は、図書館に入りびたっては、『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』などを手当たり次第に読みあさっていました。
そんな中で、この本を手にしたときの衝撃は、今も忘れられません。
本は、こんな書きだしから始まります。
「どうして私は、まず動物たちとの生活のいやな面から筆をおこすのだろう?それはこのいやな面をどれくらい我慢できるかによって、その人がどれくらい動物を好いているかが、わかるからなのだ。私は自分が小学生かあるいはもうちょっと大きくなったころ、またまた新しい、おそらく前よりもっと破壊的なペットをうちにもちかえったときに、頭をふるか、せいぜいあきらめのため息をつくだけでいつも見逃してくれていた、しんぼう強い両親に、かぎりない感謝の念を抱いている。…」(引用元:コンラート・ローレンツ著『ソロモンの指環』日高敏隆訳、早川書房)
私も当時、部屋の片隅に木の枝をわたして、そこにカマキリをとまらせて飼っていたり、イモリやカエルの入ったプラケースを持ち歩き、友達の家に持ちこんでは、友達のお母さんに悲鳴をあげさせたりしている子どもでした。
そして、両親はそんな私を叱らず、面白がってくれていましたので、
「私とおんなじような人がいる!しかも、大人で学者さん!」
というのが、まず最初の驚きだったのですね。
(友達のお母さんには、迷惑をおかけしました。ごめんなさい!^^;)
のちに動物行動学者となったローレンツは、研究対象の動物たちを檻に入れず、自由に行動させることをモットーにしていました。
檻の金網は、動物たちを閉じこめるためではなく、家の中や花壇など、大切なパーソナルスペースに動物たちが入りこむのを防ぐためのものだったといいます。
ローレンツはまた、妻に対しても、冒頭で感謝の念を述べています。
「そして私の妻は長い年月の間、どれほどの我慢をしてきてくれたことだろう。ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走りまわり、敷物からきれいなまるい切れはしをくわえだして巣をつくってもほっといてくれ、といえる夫は、私のほかにはいそうもない。」(引用元:コンラート・ローレンツ著『ソロモンの指環』日高敏隆訳、早川書房)
その妻が、大声をあげても腕をふりまわしてもききめのないガンの群れを、植えつけたばかりの花壇から追い払うために、巨大な真っ赤なパラソルをかまえて突入するくだりなどは、抱腹絶倒の面白さです。
おそらく、この両親や妻の対応こそが、天才科学者コンラート・ローレンツを育てあげた土壌であり、常人では成しえない研究成果を生みだす条件だったのだと思います。
ギフテッド教育にもおおいに参考になる実例だと思いますが、なかなかここまではできないですよね(笑)。
さて、のっけから強烈に引きこまれた私は、この本を何度も借りては、夢中で読みました。
高度な知能を持つコクマルガラスやオウムとの友情。
水槽の中で見られる、ヤンマのヤゴの知性と美しい羽化の瞬間。
トウギョ(ベタという名で売られている美しい熱帯魚)の闘争ダンスをはじめ、魚たちの情熱的な生殖活動と、繊細で献身的な子育て。
卵から孵ってはじめて出会ったローレンツを母親と思いこんだ、ガンの子マルティナとの愛情に満ちた生活(かの有名な「刷り込み」理論の原点となった話)。
などなど、動物の本能を機械論的に解釈する風潮を吹きとばす、驚くべき内容ばかりです。
しかも、ローレンツの筆は詩的で情熱的で、文学としての面白さも絶品です。
もちろん、動物行動学者である日高敏隆氏の翻訳の素晴らしさは言うまでもありません。
特に印象に残ったのは、猛獣が仲間を傷つけないために持っている「騎士道」精神と、逃げる術を断たれた草食動物が同族に見せる残虐性になぞらえて、われわれ人類のモラルを問う最終章です。
ローレンツは言います。
「『いつかきっと相手の陣営を瞬時にして壊滅しうるような日がやってくる。全人類が二つの陣営に分たれてしまう日も、やってくるかもしれない。そのときわれわれはどう行動するだろうか。ウサギのようにか、それともオオカミのようにか?人類の運命はこの問いの答えによって決定される。』さてわれわれは、いずれの道をえらぶであろうか。」(引用元:コンラート・ローレンツ著『ソロモンの指環』日高敏隆訳、早川書房)
実はローレンツは、かのナチスドイツの優生学的思想を支持する論文を書いたことで、「科学の社会的責任」を問う文脈でたびたび批判されています。
ソ連での捕虜生活を送る中でナチズムの非人間性に気づいた、と反省の弁を述べているようですが、いまだ科学者倫理の議論において重要な問題提起となっています。
それでも、そんな重大な禍根があったとしても、この本の輝きはけっして損なわれるものではないと思います。
子どもが自然科学に興味を持つための強烈な引力となり、のちに多くの自然科学者を生みだす原動力になりうる、歴史的な傑作だと思います。
著者が戦争責任を問われ批判にさらされながらも、この本が読まれ続け、人々に感動を与え続けていることが、そのなによりの証拠ではないでしょうか。
自然や生き物のおりなす驚きの世界をのぞいてみたい人や、ギフテッドの子どもたちにも、自信を持っておすすめできる一冊です。
私はその後もこの本のことが忘れられず、成人してから古本屋で見つけて購入し、今でも大切に保管しています。
ちなみに、この本の2章『被害をあたえぬものーアクアリウム』に書かれている、自然界の均衡にまかせたアクアリウム(バランスドアクアリウム)は、私の長年の趣味になりました。
小さな水槽(私は球形の水槽が美しいので好きです)に砂利と水草と小さな魚を1匹入れて光を当て、酸素と二酸化炭素と、バクテリアが作りだす養分とがバランスを保って循環する環境を作ります。
一度バランスが整うと、あとはときどき魚に餌をやる以外、いっさいの世話をしなくても、水は澄み、部屋の一角に宝石のような小世界を醸しだしてくれます。
特に夜、部屋の照明を消して、暗闇に浮かびあがる球形のアクアリウムを眺めていると、その美しさと不思議さに、何時間でも思索に耽ってしまいます。
最近作っていないので、また始めてみようかな。
このアクアリウムについては、別の記事で詳しく書いてみたいと思いますので、どうぞご期待くださいね。
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