「音に色が見える」「数字がカラフルに感じられる」──
そんな感覚、あなたにも覚えがありますか?
それはもしかすると「共感覚(きょうかんかく/シナスタジア)」かもしれません。
この記事では、私自身も持っている、この不思議な感覚の世界をご紹介します。
共感覚とは?
共感覚とは、ひとつの感覚刺激が、別の感覚を同時に呼び起こす現象のこと。
たとえば:
- 音を聞くと色が見える(色聴)
- 数字に色がついて見える(色字)
- 曜日や月が空間上に浮かんで見える(時間空間)
- 言葉を聞くと味がする(味覚共感覚)
ごれらはギフテッド特有のものではなくて、芸術家や発達特性のある人々にも多いと言われています。
ただ、ギフテッドに多く見られ、芸術的な才能や創造性に影響を与えることも多いようです。
脳科学的には、脳の感覚をつかさどる部分(視覚・聴覚・触覚など)の神経ネットワークが、通常よりも強く結びついていることが原因と考えられています。
たとえば、文字を見たときに色を感じる人は、「文字を読む脳領域」と「色を感じる脳領域」が同時に活性化しているという研究結果もあるようです。
私自身は、
- 数字や漢字に色がついて見える
- 小説のページを開いたときに、作家ごとに違う色調を感じる
- ピアノやギターの音が球形など立体的に感じられる
- 音の高低や広がりが、空間を伴って感じられる
という感覚を持っています。
一つひとつ、くわしくご説明していきますね。
数字や漢字に色がついて見える
幼児期に数字を覚え始めたころから、それぞれの数字に色がついているのがあたりまえだと思っていました。
こんな感じです。
この感覚は、長い数字の羅列を記憶するのにとても役に立ちました。
例えば、電話番号だと
こんなふうにイメージできるので、ああ、なんとなく黄色っぽい番号だったなあ、たしかあのへんに緑色も入っていたぞ、などと思い出すことができます。
同じ色の数字もありますが、万が一間違った番号にかけてしまった場合でも、もう一つのほうの数字に入れかえてかけなおせばよいだけなので、とても便利でした。
これ、ほかの人たちもみんなそうなんだと思いこんでいましたので、小学校に入って、友達から電話番号を教えてもらったときに
「へえ、赤っぽい電話番号だね!」
と言ったら、
「…え?」
と驚かれて、こちらもびっくりした記憶があります(笑)。
思えばそのあたりから、自分が人とはちょっと違っていることに気がつきはじめたのかもしれません。
今では子どものころほど鮮明な色は浮かびませんが、それでもクレジットカードなど、日常よく使う番号は記憶していることが多いです。
漢字の場合は、必ずとはいえませんが、その字の持つ意味や音を反映した色がついている傾向があります。
たとえば、「水」は水色、「紅」は紅色、という感じです。
そのまんまですね(笑)。
固有の色がついていますので、熟語を覚えるのに便利でした。
例えば、「門」と「問」。
普通であればまぎらわしい、取り違えやすい漢字だと思いますが、私の場合は「門」が茶色、「問」が赤と、違う色がついていたので、間違えることはありませんでした。
こんなふうに、色の組み合わせのイメージで覚えているからです。
以前、趣味で漢詩を習っていたことがありますが、一篇の漢詩も、私にとってはめくるめく色彩の世界なのです。
もちろん、目に見えている文字は、印刷された黒一色です。
あくまでも、イメージされた色彩がオーバーラップされている、という感覚です。
わかっていただけるでしょうか…(笑)。
小説のページを開いたときに、作家ごとに違う色調を感じる
これについては、今のところ同じ感覚の持ち主に出会ったことがないので、ちょっと珍しい例なのかもしれません。
どういうことかというと、本屋などで小説のページをぱっと開いたときに、その見開きページ全体に色彩を感じるのです。
私は、ギフテッドに多い「カメラアイ」(見たものをそのままカメラで撮ったように記憶できる能力)を少しだけ持っていて、長い間記憶することはできないものの、本の見開きページを「一瞬で読む」ことができる子どもでした。
読書をするときに、文字を一つひとつ追うのではなく、段落ごとにまとめて読めるので、一冊の本をとても短時間で読み終えることができました(最近は老眼で、ダメですが^^;)。
300ページくらいの本なら、1時間ほどで読み終えていたと思います。
図書館や本屋に行き、読んだことのない作家の作品を開拓するとき、私はいつも、手あたりしだいにページを開いてみて、文章の味わいが好みに合う作家を選んでいました。
有名な作家のイメージカラーは、次のようなものでした。
三島由紀夫:満艦飾。豪華絢爛、金色や朱色など、キラキラした色彩。
花村萬月:天然色の極彩色。南国の鳥や果物のような、鮮やかで生々しい色彩。
大江健三郎:埃っぽい茶色、灰色。全体的に土や冬の寒村のような色彩。
以上、特にはっきりした個性を感じる作家のイメージカラーを画像にしてみました。
生成AIや写真素材を加工したもので、必ずしも忠実なイメージではありませんが、三者の違いを感じていただければ幸いです。
他にも、安倍公房は落ち着いていて透明感のある青緑色、太宰治は葡萄茶(えびちゃ)のようなレトロな茶系など、文章の雰囲気や漢字の選び方などから特徴的なカラーを感じていました。
また、これは私自身、どういうことなのか全く解析できていないのですが、埴谷雄高の文章を読んでいると、かたわらに小説世界が空間となって構築されていくのです。
建築材料を組みあげていくような、重層的な文章構造がそうさせるのでしょうか。
たとえばこんな文章です。
「青年は、広い柱廊風な玄関の敷石を昇りかけて、ふと立ち止まった。人影もなく静謐な寂寥たる構内へ澄んだ響きをたてて、高い塔の頂上にある古風な大時計が時を打ちはじめた。青年は凝っと塔を眺めあげた。その大時計はかなり風変わりなものであった。石造の四角な枠に囲まれた大時計の文字盤には、ラテン数字でなく、一種の絵模様が描かれていた。注意深く観察してみるならば、それは東洋に於ける優れた時の象徴──十二支の形をとっていることが明らかになった。青年は暫くその異風な大時計を眺めたのち、玄関から廊下へすり抜けて行った。」(引用元:埴谷雄高著『死霊』講談社)
有名な未完の大作『死霊』の冒頭部分ですが、読んでいるそばから、この風景が立体的な空間となって、私のかたわらに構築されてゆきます。
そして、できあがった空間は「埴谷宇宙」とでも呼びたいもうひとつの世界となって、私の日常と併存し続けているのです。
そして、そんな状態になってから10年ほど経って、この『死霊』の解説動画をYouTubeで見つけたのですが、映像が私のイメージとほとんど同じテイストで驚いた記憶があります。
最近では、この動画は削除されていて見ることができなくなっていますが、探しだしてもう一度見てみたいと思っています。
どなたが作られたものか?
『埴谷雄高 独白「死霊の世界」(11)~(21)まとめ』というタイトルでした。
もしご存じの方がおられましたら、コメントなどで教えていただけると嬉しいです。
ピアノやギターの音が球形など立体的に感じられる
特に、ピアノの音で顕著です。
一つひとつの音は、やや弾力のある、透明な球状の形をしています。
それが空間を流れていく感じ、といえばわかっていただけるでしょうか。
ここでもう一つ、ちょっと特別な感覚についてお話ししたいと思います。
それは、アナログレコードの音とCDの音で、この球体の形がはっきりと違う、ということです。
私の若いころは、まだCDはなく、アナログレコードやカセットテープで音楽を聴いていました。
そして、20代の半ばくらいでしょうか、CDが普及し、アナログレコードはプレーヤーとともに市場から姿を消してしまいました。
そこで、ずっと好きで聴いていたアーティストのCDを購入して聴いてみるのですが、なんというか、音の丸みというか、立体感がレコードとは全然違うのです。
特に、ジャズやボサノヴァ、民族音楽など、それぞれの楽器の音が際立っているタイプの音楽で顕著でした。
また、声に倍音が多く含まれるタイプのヴォーカリストの歌も、まったく違って聞こえるので辟易としました。
例をあげると、忌野清志郎や玉置浩二などです。
ふくらみのある声の、情感あふれるかすれた音がカットされてしまった印象でした。
球体だった音の粒が、オセロの駒のように扁平になってしまうイメージです。
私の友人には、プロのミュージシャンも何人かいるのですが、このことを話して「ああ、わかる!」と言ってくれたのはほんの2〜3人でした。
しかし、とても素晴らしい音楽を奏でる才能あるミュージシャンでも、「いや、全然わからない、同じに聞こえる」という人が多かったので、この感覚は音楽的才能とは無関係なのでしょう。
おそらく、可聴域(音の聞こえる範囲。倍音にあたる領域の音を聞きとれるかどうか)が人によって違っているのだと思います。
そして、倍音が聞こえる耳(あるいは脳?)の持ち主だけが、CDの音に違和感を感じるのだと思います。
CDはデジタルデータであるため、詳しいことはわかりませんが、生の音を数値データに変換して録音することで、余分な音をカットしてしまうのではないでしょうか。
そんな単純なものではないのかもしれませんが、そうとしか思えないほど、私にとってCDの音は扁平に聞こえてしまうのです。
また、超音波にあたる周波数をカットしてしまうことで、音のふくらみに影響が出るのかもしれませんね。
「超音波は聞こえないから必要ない」とは、必ずしもいえないのではないでしょうか。
知覚はされなくとも、ひとつの音を作っている構成要素として、なんらかの働きを持っている可能性も考えられます。
ふだんは利便性を優先してCDを聴くことが多いのですが、それでも、ときどきアナログレコードを聴くと、丸みと奥行きと湿度を感じる温かい音色に、やはり郷愁を感じます。
私のような人が一定数いることで、アナログレコードは復刻し、絶滅の危機をまぬがれているのかもしれません。
音の高低や広がりが、空間を伴って感じられる
私にとって、音楽は空間そのものです。
曲が始まると、その曲特有の空間が醸造され、それぞれの楽器の音はその空間の中で遊びはじめます。
音の高低は、そのまま三次元空間の位置関係でイメージされます。
高い音ははるか上空に、低い音は地を這うように。
説明がむずかしいのですが、たとえば、オーケストラの一団が舞台の上で演奏している、その空間がイメージされ、その中で音が動きまわる感覚です。
もちろん、風景が浮かぶこともあります。
草原や森、水辺が多いですが、石造の古い洋館の室内が浮かんだこともありました。
音色によって色が違うような気もしますが、私の場合は、文字の場合ほどはっきりと色を感じることはありません。
人によって違いはあるものの、プロのミュージシャンの中には似たような感覚を持っている人が多いようです。
友人の中には、管楽器の音を聞くと「水道の蛇口から出ている水を手でにぎっているように」感じるという人がいて、なんとなくわかる気もして、おもしろいなと思ったものでした。
そういえば、音楽とは関係ないのですが、小学校でそろばんの授業を受けたときに、脳内の前頭葉のあたりに、そろばんの映像がセットされていた時期がありました。
先生が問題を読みあげるたびに、脳内で玉をはじいていけば答えが出るので、「これは便利!」と感動したものです。
そうか、テレビに出てくる暗算王みたいな人って、こうやって暗算しているんだな、と納得していました(きっと違うと思いますが^^;、少なくともそろばんの達人の中には、脳内にそろばんが設置されている人も多いのではないでしょうか)。
さて、ずいぶん長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
「あるある!」「私も!」と思われた方も、きっといらっしゃるのではないでしょうか。
もしほかにも独特な共感覚をお持ちの方がおいででしたら、ぜひコメントで教えてくださいね。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
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