自分はおかしい、異常だと感じていた子ども時代。
ものの考え方や感じ方がまわりと違うので、集団の中でどうしても浮いてしまう。
そんな自分が嫌いで、普通になりたいと願い続けていました。
自分の本当の気持ちを隠して、まわりに合わせて作り笑い。
思えば、思春期のころの私は、自分以外の人間になろうとする努力ばかり重ねていました。
この記事では、そんな私が ”ギフテッド” を自称してブログを書こうと決心するまでの、迷いや葛藤を書いてみようと思います。
ずっと隠してきた自分の特性が、 ”ギフテッド” と呼ばれるものだと知ったのは、ほんの数年前のことでした。
そして、 ”ギフテッド” と呼ばれる人たちについて知れば知るほど、自分自身と驚くほどの共通点があることがわかってきました。
- カメラアイや共感覚などの特殊能力:生まれつきなので当たり前と思っていたというのも共通。共感覚(シナスタジア)とは? ── 感覚がつながる不思議な世界
- 学校生活への違和感:授業が退屈、クラスメートと話が合わない。ゲンコツよりタイクツが辛かった話
- 孤独感や疎外感:周囲と合わず、仲間を見つけづらいという悩みを抱えやすい。
- 集中力と没頭力:興味のあることには時間を忘れるほど集中する。
- 発達の凸凹、2E特性を持つことが多い:知性と生活能力・作業能力などにギャップが生じやすい。
ほかにもたくさんありますが、今まで自分の性格や不器用さのせいと思っていたことが、 ”ギフテッド” と呼ばれる層の、宿命のような特性なのかもしれない、と思えてきました。
そして、 ”ギフテッド” という概念が知られるようになってきた今でも、義務教育の現場では、
- 当事者の子どもたちが私と同じような違和感・疎外感を感じがちで、不適応や不登校におちいってしまう場合も少なくないこと。
- いちがいに ”ギフテッド” といっても、その現れかたはさまざまで、適切な支援方法を標準化するのが難しいこと。
- 成長してからも、自分の能力を隠したり、うまく活かすことができずにいる当事者がたくさんいること。
そんなこともわかってきました。
そこで、当事者としての私の体験談を読んでいただくことで、教職員のみなさんや保護者のかたがた、ギフテッド当事者のみなさん、さらにはギフテッドについて知りたいと思っている人たちの参考になるのではないか?と考えるようになりました。
そう考えて幼少期から今までの記憶を探ってみると、書きたいこと、お役に立てそうなことは無限にありそうです。
しかし、それからブログを書き始めるまでには、さらに長きにわたる迷いがありました。
なぜなら、私には ”文章を書いて自分を表現すること” 自体に強いトラウマがあったからです。
そのことについては別の記事でくわしく書いていますので、読んでいただければ幸いです。書くことをやめてしまった日
私はあるきっかけから、それまで大好きだった ”ものを書くこと” をいっさいやめてしまいました。
そして、高校を中退したのち、就職して事務員として働いたり、アルバイトで洋服の売り子なども経験しましたが、やはり自分には ”ものを作ること” にしか活路が見出せないことに気づいてからは、アート系の作家を生業にしてきました。
それは、文章とはほとんど関係のない分野で、手作業で作品を作って販売する、というお仕事です。
今でも本業として続けています。
つまり、”自分の言いたいことを文章にする”という作業自体、もう数十年のブランクがある状態だったのです。
さらに、もし ”ギフテッド” を自称してブログを発表したら、謙遜の文化の強い日本では、
- 自慢しているように思われるんじゃないか?
- 上から目線と感じて反感を持つ人も多いんじゃないか?
- 本業に影響が出るんじゃないか?
という心配もありました。
そして、私が一番恐れているのは、 ”言葉” の持つ威力です。
特定の立場を標榜して何かを書くということは、自分の発言によっては、同じ立場の人たちへの印象や評価にまで影響を与えることになりかねません。
今は特に、メディアやSNSで ”炎上” 騒ぎが盛りあがっていますので、小心者の私としては腰が引けてしまいます。
”ギフテッド” などと自称せず、気ままな個人ブログで書きたいことを書いた方が楽しいのでは?と、実は今でも考えることがあります。
こういうところは、私のようなIQ130超えのギリギリギフテッド層の短所なのかもしれません。
何かを始めようとしても、なまじ未来予測の能力があり、それこそ大成功から大失敗までありとあらゆる可能性が脳裏に浮かんでしまうため、失敗を恐れて踏みだせないのです。
また、自己コントロール能力がわりと高いため、自分に対する言い訳が上手なのもこのあたりの知能指数を持つ人の特徴かと思います。
ものごとに取りかからない理由をいくらでも考えつき、自分を納得させて現状維持を決めこむのですね(笑)。
すみません、これはあくまでも私の欠点であり、一緒にされた同じくらいのIQの皆さんはお怒りかもしれませんね。
でも、私のまわりにいるIQ130超えのギリギリギフテッドの人たちは、これを言うとほぼ全員が「あるある!」とうなづきますので、共感してくださるかたも多いのではないでしょうか。
正直に告白しますと、今こうして書いていても、私の心の一部は恐怖でいっぱいです。
それでも、 ”ギフテッド” という立場からブログを発信しよう!と決意した理由は、このまま自分の一部を封印したまま人生を終えたら、きっと後悔すると思ったからです。
勇気を出して自分のできることをやり切ったら、もしかしたら誰かの役に立つことができるかもしれない。
自分と同じように繭の中で逡巡しているギフテッドの人たちに、ひと筋の希望を感じてもらえるかもしれない。
どこまでできるかは、自分ではわかりません。
でも、いつかはやらなければ、きっと後悔する。
生まれてきたからには、与えられた能力を100%活かして、人生をまっとうしたい。
そう思ったからです。
今までのつまづきの多い人生経験から、おっかなびっくり書いていきますので、ときにはまわりくどい、はっきりしない書きかたをしてしまうかもしれません。
でもそれは、伝えたいことがブレているからではなく、自分の表現が、あらゆる層の人たちにどんなふうに受けとられるか、誰かを傷つけるのではないか、という可能性に常に怯えているせいなのです。
自意識過剰気味なのかもしれませんが、 ”不特定多数に向けて文章を書く” ということは、それだけの配慮と覚悟が必要なことだと考えています。
だけど、一方で、万人に受け入れられる表現などありえないとも思っています。
ですから、勇気を出して書いていきます。
何か偏見や問題のある表現がありましたら、コメントなどで教えていただけると助かります。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
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