それは、小学1年生の遠足の日の出来事でした。
他のクラスメイトたちが屈託なくはしゃいでいる道中、ある光景を目にした私は、身も凍るような恐怖に襲われて立ちつくしてしまいます。
この章では、小学生の私が「人間」について考えるきっかけになった出来事から、その後数年を経てたどりついた、アルノルト・ゲーレンの「欠陥生物論」について書いてみようと思います。
サルの群れと出会う
その日は、小学校に入学して初めての遠足でした。
行き先は、高尾山。
東京都八王子市にある標高599mほどの山で、都心から日帰りで行ける人気の観光スポットです。
私はその日、青いジーンズの胸当てスカートに白いTシャツを着て、赤いリュックサックを背負っていました。
そして、頭には1年生限定の「黄色い帽子」。
歩きやすいようにと母が選んでくれた赤いスニーカーを履いて、私は足取りも軽く山道を登り始めました。
母が作ってくれた彩り豊かなお弁当と、数日前にスーパーで悩みに悩んでチョイスしたお菓子も、リュックサックの中に入っています。
比較的視界の開けた山道を、私たちは列をなして登っていきました。
おびただしい数の黄色い帽子が大声ではしゃぎながら歩くようすは、山に棲む生き物たちにとっては、静寂を破る侵略者と感じられたことでしょう。
そんなことをちらっと考えながらも、私自身も友達とおしゃべりしながら、山登りを楽しんでいました。
なだらかな上り坂を、小一時間も歩いたころでしょうか。
「あっ、サルだ!」
クラスの男子が大声で叫んで、数十メートル離れた谷間を指さしました。
目をやると、そこには数頭のニホンザルの群れが、鬱蒼と生い茂った木々の間を渡っていくのが見えました。
大人のサルが2〜3頭と仔ザルたち。
中には、腰のあたりに赤ちゃんを乗せたお母さんザルもいます。
サルたちは、ほとんど音も立てず、慣れた身のこなしで藪の中を進んでいきます。
「わあ、かわいい!赤ちゃんもいるね!」
「お〜い、お〜い、あっ、こっち見た!」
クラスメイトたちは大はしゃぎです。

突然の存在論的不安
そんな中、私はふと、果てしない空と聳え立つ木々の緑に囲まれた谷間の、その壮大な空間に比べて、サルたちがとてもちっぽけだと感じました。
そしてサルたちは、その形も、色彩も、しぐさも、まわりの風景に違和感なく溶け込んで、美しく調和して見えました。
サルたちは、自然界という大きな循環の「仲間」なのだと直感させられたのです。
転じて、私の観察眼は自分自身に向けられました。
私はその場に立ち止まったまま、自分の姿を観察しはじめました。
事故に合わないように、大人の目が届くようにとかぶせられた鮮やかな黄色の帽子をはじめ、白いTシャツも、青い胸当てスカートも、赤いリュックサックも⸻すべてはまわりの風景から浮き上がる「異物」でしかないような気がしました。
そして、ひゅっと背中に冷気が走るような感覚とともに、私の意識は唐突に、空の高みに引きあげられたのです。
例えるなら、それまでは目線の高さで至近距離まで寄って私を撮影していたカメラが、急激にズームアウトして、遥か上空から見おろしているかのようでした。
そのカメラの視点からは、私は点のようにちっぽけに見えました。
そして、点のようにちっぽけなのにもかかわらず、圧倒的な緑の風景の真ん中で、私の存在は「異物」でしかなかったのです。
さらに私は、
「もし、自分が突然、生まれたままの素っ裸で、何も持たずにこの山の中に放り出されたら、いったいどうなるんだろう?」
という考えに囚われました。
「あのサルたちみたいに、この大自然の中で生きのびていけるのだろうか?」
私は、その場に立ち止まったまま、あわただしく考えをめぐらせました。
答えは、どう考えても「否」でした。
だって⸻
私には、サルたちみたいな分厚い毛皮がない。
あんなに素早く木々の間を移動できる運動能力もない。
夜になったら真っ暗だし、寒いだろうし、お布団もないし、どうやって寝たらいいの?
もしかしたら、クマや野犬に襲われるかもしれない。
武器を持っていないんだから、絶対にかなわない。
毒虫や蜂、マムシなんかもいるかもしれない。
こんなに薄くて敏感な皮膚一枚で、どうやって身を守るの?
お腹がすいたら、どうやって食べ物を手にいれる?
そもそも、何を食べたら安全なの?
キノコや野草?⸻それだって、毒があるかもわからない。
道具がなければ、魚や鳥を捕まえるのもむずかしい。
人間って、なんて無力なんだろう。
そもそも、服を着ていなければ、藪の棘とか、寒さから身を守ることもできない。
今立っているこの道だって、誰かが作って平らに整備してくれているから、安心して歩けるんだ。
みんなで集まって街を作って、家を建ててその中に住んでいるから、安全に暮らすことができるんだ。
道がなければどこを歩いたらいいかわからないし、道具や衣類がなければ身を守る術もない。
あのサルたちもそうだけれど、他の生き物たちが生まれたままの姿で、何も持たずに自然の中を生き抜いていくのに比べて、人間ってダメすぎない?
こんな生き物って、他にいるのかな?
人間は世界の仲間はずれだ
こんな生き物って、他にいるのかな?
⸻否。私の出した結論は、次のようなものでした。
「こんなおかしな生き物は、きっと他にはいない。人間は、生物界の異端児=仲間はずれだ」
他の動物たちのように、丸腰で自然界に放り出されたとしたら。
それは小学1年生の私にとって、足元をすくわれるような、世界がぐらぐらと傾きだすような、根源的な恐怖でした。
私は思わず、両腕を身体に巻きつけて、ぎゅっと力をこめました。
体温が数十度も下がったような感覚でした。
「繭ちゃん、どうしたの?具合が悪い?」
真っ白な顔色で立ちつくす私に、心配した先生が声をかけてくださいましたが、こんなふうに言語化できたのはずっと後の話で、そのときはなんと説明すればいいのかわからず、ただ口をパクパクさせるのが精一杯でした。
「サルって、なんであんなに顔が赤いんだろ!」
「お尻も赤いのかな、おーい、お尻見せて〜お尻〜!」
楽しそうにはしゃぐ小学1年生たち。
その中でたった独り、不安に怯える私。
ギフテッドの子どもの特徴として、こういった観念が言語化されないまま一瞬で頭に浮かぶことがあり、本人もうまく説明できないことが多いので、まわりと共有できず孤立感を感じがちなのですね。
その日から、私は人間という「劣った」生物について、常に考えるようになりました。
そして、まわりのクラスメイトが誰もそんなことを気にしていないのを知り、「私って、ちょっとおかしいのかも?」という疑念も、日に日に強くなっていくのでした。
猫と自意識
そのころ我が家には、私が学校帰りに拾ってきた仔猫がいました。
真っ白で目が青い、とても綺麗な猫で、名前をユキちゃんといいました。
ユキちゃんは遊びたい盛りだったので、部屋中を猛スピードで走り回ったり、カーテンによじ登ったり、大人の背よりも高い本棚の上を歩いたり、その身体能力の高さは私を驚かせました。
そして、しなやかな身のこなしや、まっすぐに私を見つめる眼差しの美しいこと。
ユキちゃんは、お風呂になんか入れなくても、耳の後ろから長い尻尾の先まで自分で綺麗に手入れして、いつもいい匂いがしていました。
私は生き物が大好きな子どもだったので、野外で出会うさまざまな生き物を観察してきましたが、どの生き物もそれぞれ美しくて、誇り高いと感じていました。
その中でも、猫という生き物はとりわけ美しく、すばらしい身体能力と超然とした佇まいで私を魅了したのでした。
なんてよくできた生き物だろう!
それに比べて、と小学生の私は考えました。
人間って、なんてのろまで不器用で、感覚の鈍い生き物なんだろう。
特に私は運動が苦手で、走るのも遅いし、身体を思い通りに動かすのがへたくそなタイプでしたから、よけいに猫の身体能力をうらやましく感じたのです。
それに、私は幼いころから「自意識」の強い子どもでした。
他人から自分がどう見えるかが気になり、恥ずかしがり屋で引っ込み思案。
自然にふるまうことができない自分に、いつも劣等感を感じていました。
そんな「自意識」を、醜いことだと思っていたのです。
ユキちゃんを見ていると、彼女は他者の目なんか気にしていない、まっすぐな意識で世界と直に向き合っている⸻。
潔くて、邪念がなくて、美しいと思いました。
ここでも私は、「自意識」というのは人間に特有なものだと感じ、やはり人間は生物界の異端児なのだ、との思いを強くしていくのでした。

高尾山での猿の群れとの出会いから芽生えた違和感は、やがて動物行動学への関心に育ちました。
飼い猫のユキちゃんや身近な生き物を観察するうちに、その確信はますます深まっていきます。
人間、この不可解な生き物──。
その本質を探ろうと考え続けていた小学3年生のある日、私は一冊の書物に出逢います。
そこには、長年の疑問を鮮やかに解き明かす理論が息づいていました。
次回は、その書物『人間学の探究』(アルノルト・ゲーレン著)を通して、なぜ人間を「欠陥生物」と呼びうるのか、その核心に迫ります。
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次の記事では、小学1年生のときに芽生えたこの疑問が、やがてアルノルト・ゲーレンの著書『人間学の探究』に出会うことでさらに思索を深めていく過程を綴ります。
ゲーレンの「欠陥生物論」を軸に、ルソーやローレンツの自然回帰思想とも比較しながら、人間という存在の不思議をさらに掘り下げます。
➡思索の軌跡 第1章|高尾山のサルと欠陥生物論②(準備中)
🔙 前の章
「思索の軌跡 序章|ゲーレンからフロイト・岸田秀・荒川修作・ローティまで」
→ https://utsugimayu.com/shisaku-no-kiseki-00-1-overview/
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